イタリアに在住して20年以上経っている筆者ですが、こんなに長く一つの国に滞在していても行ってみたい場所はまだまだ本当にたくさんあります。
今回はずっと行ってみたかった”チーヴィタ・ディ・バニョレージョ”をご紹介します。
宮崎駿監督のアニメ「天空の城 ラピュタ」のモデルになったと噂のある街としても有名な場所と知り合いの方から教えてもらいとても興味を持ち、行きたい行きたいと思いながらもなかなか行けなかった場所。
やっと念願が叶って嬉しかったのですが、、、情報収集を怠っていたため帰りはくたくたに疲れて帰ってきました。笑 その反省も込めて、みなさんへはご参考となれば幸いです!
チーヴィタへはトレッキングのつもりで行くといい?!
天空の城ラピュタの舞台はマチュピチュやモン・サンミッシェルなど世界中の有名な観光地が舞台とも噂されていますが、ここにくると確かにインスパイアされたかもしれないと思わずにはいられない絶景です。
地理的にはローマが州都のラツィオ州に属します。
ミラノから475km
フィレンツェから南へ180km
ローマから北に120km 車で約2時間の場所に位置していています。
電車の最寄り駅はおそらくヴィテルボViterboでここまでローマから鈍行しか停まらないような駅で2時間かかり、さらに車移動で30km、約40分かかるような場所です。
レンタカーを借りて日帰り旅行するにはとてもおすすめの場所かもしれません。
目的地までのイタリア中部の田園をドライブするのは気持ちいいです。
が、しかし。問題は目的地に到着した後なんです!
駐車場から目的地まで往復5kmの道のりを歩く!
このチーヴィタ・ディ・バニョレージョなんですが、なんと目的地に辿り着くのに1本の道しか存在しません。
360度の眺めをみても分かるように、現世と続いている道が1本だけなんです。
入り口が1カ所しかないので、そこに観光客が集まるわけなんですが、実はこの手前に本村のバニョレージョ(本村)があります。
お目当ての天空の城ラピュタモデル村の方が、分離集落のチーヴィタなのです。 本村を通り抜けないとチーヴィタに辿り着けません。
本村と分離集落までの距離は約2キロメートル。
そしてこの2kmは村の住人証明がない車以外の通行が禁止されています。
なので、バニョレージョ村の麓にある観光客用の駐車場に車を停めて、そこでチーヴィタ入場券を購入し、2kmの道のりをひたすら歩いてチーヴィタに向かいます。
平地の2kmではなく、バニョレージョ村はまだ緩やかな坂道なのでいいですが、チーヴィタがようやく見えたとたん山を降りて、また山を登るような道なりです。
体力に自信がない人は体力を温存させていかないとハードです。チーヴィタの中に入ってからも小さな村の中を散策して、駐車場に戻るまで結局往復で5kmは自力が歩くことになりますので、歩く準備をして向かってくださいね。
ちなみにバニョレージョーチーヴィタ間にマイクロバスはありますが、乗車人数は10人から15人ほど乗れば満席の小型です。片道確か1ユーロとかだったはずです。
そして30分に1本運行などとても快適とは言えないので、時間ロスは確実です。 マイクロバスは山を降りてくれませんから、結局1番険しい山の上り下りは自力覚悟です!!
チーヴィタを訪れる時の心構えまとめ
と、いうことで体力が必要な観光地だということがご理解いただけたと思います。
ー 時間に余裕を持つこと
ー スニーカーは必須アイテム!重い荷物を持っていくのも避けましょう!
ー 駐車場は土日やホリデーシーズンはすぐ満席になります。
ー 駐車場近辺にはお店もそんなにありません。
お札は使えず、お釣りの出ないパーキングメーターなので小銭はマスト!
ー 満席になった場合はもっと遠い場所に確保されている駐車場にいく羽目に。
チーヴィタまで往復6km覚悟してくださいw
ー メインの駐車場にチーヴィタ入場券が販売されています(カード支払い可能)。
チーヴィタ入り口でも入場券は購入可能ではあります。
エトルリア人が構築したチーヴィタ・ディ・バニョレージョ
この街は2500年前にエトルリア人によって造られました。
古代ローマ人の前にトスカーナ 地方を中心として先住民族は言語も文化も特徴も謎も多く、古代ローマ時代に徐々に同化し消滅したものの、ある説では、もっと古くは今のトルコ、死海付近、もしくはユーゴスラビア地域に生息していたのではないかとも言われている民族です。
エトルリア人は同じ人種同士でも争いが絶えず、街同士でよく戦っていたがために、敵の侵入を最小限に抑えるべく小高い丘や高台に街が形成されました。
日本では戦国時代のお城の造りと発想が近いと思うのですが、よくまあ、こんな崖のようなところにまで村を造るなんて、、、。村形成の技術と能力にもびっくりしますがその精神にも驚きます。
2500年前の日本はと言えば縄文時代の頃かと思います。人々が助け合い、調和のある時代のイメージが強いのは筆者だけでしょうか?(こんな昔からすでに東洋と西洋の文化が違いすぎてびっくりします。)
チーヴィタ・ディ・バニョレージョの風土について
テーヴェレ川に面した凝灰岩の台地上にあるのですが、土地質が非常に悪くバットランド(悪地地形)に属し、雨水や風によって侵食された地形で宅地には適しません。
建物が崩れる危機に常にさらされ、文献に残っているのでは西暦1695年に地震もあったなど1990年ごろまでは“la città che muore”(死にゆく町)と揶揄されるほどの衰退ぶりだったそうです。
世界中から観光客が訪れる人気スポットへ
今ではすっかり観光地として認知度が上がり人気の観光スポットです。
駐車場から歩きっぱなしで、坂を下り上りを繰り返してようやく到着したチーヴィタの城壁内は整備され、レストランやお土産屋さんもありました。
わたしが行ったのは10月の土曜日だったのですがローマっ子でいっぱいでしたよ。w
そして、チーヴィタに到着した時間帯がちょうどお昼1時ごろだったんですが、この日のお天気予報は 日中最高気温が20度。そして最低気温が7度!と1日に13度以上の気温差がありました。
チーヴィタの周りの地層は崖で凹んでいます。 この気候の関係で雲母(層雲)が発生しやすいようでして気温の変化で霧で盆地の部分?が霧に覆われチーヴィタの街だけが浮かんで見える時があるんです。
もし筆者が早朝の冷え込んだタイミングでチーヴィタを訪れていたら雲母を見ることができたかもしれません。
雲母で崖の部分が真っ白になれば、チーヴィタは正に浮かんだ村、天空にある城になるでしょうね。
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いかがでしたか?
駐車場から往復で4kmも歩く心構えをしていればもうちょっと余裕があったと思いますが。
いつものように目的地には何の負担もなく車で行けるとばっかり思っていたので、帰りはかなりくたくたになりました。苦笑
みなさんが行かれる際はぜひ歩き回るのを前提に、そして時間に余裕がある場合は、近郊にも素敵な街がたくさんありますので1泊2泊の旅行を組んで周辺を観光するのもおすすめです!
もしかしたらローマからは日帰りツアーも組まれているかもしれませんのでぜひチェックしてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。