ブログを書くようになってから、知れば知るほどイタリアの豊かさ、古代の人々の偉大さに感動することが多くなりました。
どんな歴史きを辿って”今”に通じているのかをわかると、観光がもっと面白いということに気づくようにもなりまして、ついつい古の状況を妄想してしまいます。笑
人々の生活を今の側面だけで見るのではなくて、どうやった歴史や背景があって今に至るのかが見えてくると、その土地の運命や風土にもより納得できて、益々好きになってきています。
記事にするトピックには今後、ちょっとした歴史的背景をプラスしてもっと楽しく観光ができるように書いていけるように日々精進したいです。
今回の記事は直接観光やおすすめスポットのご紹介ではなく、先日立ち寄った運河を眺めてどうしても知りたくなったので水事情についてです。
ミラノやミラノ周辺で目にするどこまでも続く運河がどこまで続いているのか、人口水路で、幅も狭く水域も浅いそのきれいな水路を見ながら中世のミラノに想いを馳せてしまったのです。笑
この水路を必要としていた理由や、どのように活用したのかに興味を持ったのでせっかくなので記事にしたいと思い立ちました!
今回は人が生きるために必要な水の確保をミラノはどのようにしていたのか、運河がどのように機能していたのかなど、できるだけ簡単にまとめてご紹介していきます。
ミラノの繁栄は水路の確保がなかったら今のミラノは存在していなかったかも?です!
パダーナ平原にあるミラノ
古代ローマ時代から都市が発展したのは必ず水路の確保は食糧確保と同じく大切だったと思うのですが、フィレンツェにはアルノ川があり、ローマにはテーヴェレ川があり、ヴェネツィアは海の都、中世はイタリア各地に海洋国家もたくさんありました。
添付した北イタリアの地図を見ていただくとよく分かるのですが、パダーナ平原がアルプス山脈に囲まれています。
パダーナ平原
西はトリノから、東はヴェネツィアを通り越しイタリア最東のトリエステの街までの広い範囲で平原が続きます。(スロヴェニアまで含む場合もあり。)
平原の最南端はリーミニ。北イタリアと中央イタリアの一部。
平原面積47820㎢
この平原の面積は九州と沖縄を合わせた約38000㎢よりも広く、さらに四国の半分を足した領域です。
出典元:ウィキペディア https://it.wikipedia.org/wiki/Po
パダーナ平原を横断しているポー川
その中でも1番規模の大きいポー川は北イタリを横断し、アドリア海に流れていきます。トリノから100kmほど西のフランス国境近くが源泉で、全長約652kmと長く、流域面積は74.970 km2(川の規模)と、日本で1番規模の大きい利根川の4,4倍のようです。
ミラノ周辺の地理を東西南北別で
まずはミラノの半径100km圏付近にどんな特徴があるのかミラノを中心に東西南北に分けてご紹介します! ミラノの周辺に川が何本も流れているのですが、川の大きさや規模は全長や流域面積を目安にしていただけるよう記載しております。
ミラノ北側
ミラノもお天気がいい日に高いビルから北をのぞくとアルプル山脈が綺麗に眺めることができる時があります。
アルプス山脈:
ミラノから北へおよそ150kmほどには連なるアルプス郡
湖水地方:
ミラノから北100km圏にはオルタ湖、マッジョーレ湖、ルガーノ湖、コモ湖、イゼオ湖が放射線状で横並びしています。
ミラノ南側
アペニン山脈:
ミラノを100kmほど南下すると今度はイタリアを縦断しているアペニン山脈があります。
ポー川源泉:
ポー川が、ミラノから50km南を東へ流れています。
ブルー:河川 レッド:運河
出典元:https://www.milanocittastato.it/featured/la-curiosa-storia-dei-5-fiumi-interrati-di-milano/
地図の通り、ミラノの東西には、外側からミラノ市内へ大中小の川が流れていることがわかります。ニローネ渓流は地図上には記載されていませんが、北から南へこんなに川がポー川へ向けて流れているんですね!
ミラノ西側
ミラノより30km地点から西は、ほとんどがお隣のピエモンテ州です。(ミラノはロンバルディア州)中世の時代はミラノ公国の領地の時代もありました。
ティチーノ川:
ミラノ西の40km地点には、スイスを水源にマッジョーレ湖を通過して流れてくる全長248kmのティチーノ川が流れ、ミラノ南へ50kmにあるパヴィア周辺でポー川へ合流。
流域面積7228㎢
オローナ川:
ルガーノ湖の最西端に近いヴァレーゼ聖山に源泉があり、全長74km続くオローナ川が、ミラノの15km地点の西側を通過後、緩やかに南東へ進む。ランブロ川へ合流する。
流域面積911㎢
ニローネ渓流:
ミラノの北北西から流れてくる全長わずか8kmの渓流は今現在のミラノの中心部の西側を流れ、古代ローマ時代はこの水路も活用してメディオラーヌムを形成しました
流域面積4,80㎢
ミラノの東側
アッダ川:
ミラノから北北東200kmに位置するスイス国境にも近い、標高2122mのアルピセッラ谷からぐるっと時計回りに迂回し、ソンドリオ→コモ湖→レッコを通り、ミラノより東25km地点を縦断、そしてローディの街を通り、南下してポー川へ合流。
全長313km
流域面積7979㎢
ブログ表紙の画像もアッダ川です。
ランブロ川:
ミラノから北に50km源泉はコモ湖に接した標高942m地点にあるピアノ・ランチョの山が源泉となり、モンツァ西を通りミラノへ向かって南下し、ミラノの東10km地点を縦断。
そのまま緩やかに南南東へ向かいながらオローナ川(2次支川)が合流して(1次支川)、その後本流のポー川へ。
全長130km
流域面積1350㎢
セーヴェゾ川:
この川は、スイスとの国境に近いカヴァッラスカの岩山が源泉、ミラノまで約52kmを流れています。 ミラノの街を形成する古代ローマ時代のメディオラーヌムの街ほぼ中心を流れていました。
古代ローマ時代の紀元前5世紀から紀元前3世紀の間に、このセヴェーゾ川をうまく利用して人口水路も造りミラノの中心部を環状線状にしてうまく機能していたのですね!
今ではミラノ市内に流れる約9kmのほとんどが埋め立てられて環状道路になっているたね見ることはできません。この川はミラノアッダ川へ通じるマルテザーナ運河に合流します。
流域面積 930㎢
出典元:ウィキペディア https://it.wikipedia.org/wiki/Navigli_(Milano)
ブルー:運河 レッド:マンホール(可動)グリーン:マンホール(不可動)ブラウン:埋立地
ミラノの都市国家拡大とともに運河の必要性
なぜこんなに川を詳しく書いたかと言いますと、昔は水路が輸送運搬の今でいうトラックの役目を担っていたことを想像したからです。
食糧・軍資・建築資材、、、重いものはとにかく船でできる限り運んで人や馬の労力を極力最低限に抑えることを優先していたため自然のものも大いに活用していたと。
今のミラノの原型となる古代ローマ時代のメディオラーヌムは生活用水や灌漑用水に必要な量はセーヴェゾ川や、ニローネ渓流やオローナ川を活用して人口水路を造り都市形成には必要最低限の水の量は確保できたでしょう。
ミラノから50km南の街パヴィアを紹介したブログでもちょっとだけ書いたのですが、
ミラノ近郊の街パヴィアへ行ってみよう!おすすめ日帰りぶらり旅
地中海交易が盛んだった中世はアドリア海が交易で栄えており、ポー川を渡ってパヴィアまで輸送することができたためパヴィアが一時期ミラノよりも栄えていたのは納得できます。
ミラノは中世以降、金細工や貨幣生産など手工業が優れていたこと、そしてドイツやフランスへ通じるミラノ商人の交易も拡大しメキメキと発展して行きます。
途中には領地争いで負けたこともありますが、西暦1000年以降はどんどん領地拡大をしていき周辺の主要都市国家からも恐れられるほど大きな都市へと発展していきました。
そうなると、防衛のため、自然水路に不足していたミラノ市内の水上交通網をよくするために運河の構築も発展していきます。
ここで、ティチーノ川やアッダ川とミラノ市内を運航可能な水路で連結すること、パヴィアからミラノまで南北に水路を形成することはミラノの都市国家形成にも、現代の私たちにとっての高速道や新幹線を繋げるように重大なことだったと思います。
まずはミラノ市街地区の水路再開発で 環状運河(ナヴィーリオ・チェルキオ)の強化や、水量の多いアッダ川やティチーノ川から繋がる運河の整備がされていきました。
ミラノの大運河 ナヴィーリオ・グランデ
13世紀には西のティチーノ川からナヴィーリオ・グランデNaviglio Grandeは整備され、ヨーロッパの歴史上最も早く造られたとも言われています。
全長も約50km、この大運河のおかげでミラノのドゥオーモの大理石もスイスの方から運ぶことが可能になったんですね!
輸送手段だけではなく、運河のおかげて灌漑用水もそして水を必要とする様々な手工業が発展してミラノ公国はヨーロッパ中の人が知る大きな都市国家に発展してきました。
15世紀には東のアッダ川からミラノへ向かって全長38kmのマルテザーナ運河が開発されていきます。
どの運河も100年200年をかけて今のような形に整備されていきます。 そして技術的に不可能とされていた、ミラノからパヴィーアまでのパヴェーゼ運河(全長約33km)も1819年にようやく開通されました。
1928年までのミラノのダウンタウンはまるでヴェネツィアのように運河が張り巡らされていましたが、自動車需要の発展と共に運河は埋め立てられて、自動車道路へと変化していったのです。
ミラノにはナヴィリオ地区に2本の運河があり、賑わうスポットなのでお馴染みの光景ですが、こんな深い歴史のある運河だったんですね。 改めて、先人の技術、英知にリスペクトしかありません。
今こうして何不自由なく生活できるのも昔の方々のおかげだなぁと改めて思います。
マルテザーナ運河を走る
先日、ミラノから日帰りでドライブをしようとTrezzo sull’Adda というアッダ河川に沿った街に河川を眺望できるヴィスコンテーオ城跡があると知り行ってきました。
1900年代に建設された水力発電所もありました。 ダムのすぐ上に1200年代のヴィスコンテーオ城跡があります。(画像だと塔が立っているのがお城です。)
お城の役目は国境管理です。 アッダ川からの敵の侵入を防ぐための門番のため、見晴らしのいいこの地が選ばれたのでしょう。
ブログの表紙画像もこのお城からアッダ川を取りました。
現在ではこの付近のアッダ川沿いはレストランもあり、サイクリングを楽しんだり、カヌー競技選手の練習場になったりと地域の方々に愛されているのがわかります。
周りは工業地帯が密集している地域なので地元の方の憩いの川ですね!
マルテザーナ運河沿いの街並み
今でも当時の面影を残すマルテザーナ運河が見れる街・ゴルゴンゾーラの街に寄り道してきました。
今でも市民の憩いとなっている村をつたっている水路が昔のままに残っていて綺麗とのことで実際に行ってきました。
小さな小さな街だったんですが、街の水路はとても素敵でした。
今ではサイクリングルートでツーリングで西に東にたくさんの方が水路の小道を通り過ぎていきました。
ミラノからたった20kmしか離れていませんが、サイクリングロードもミラノ周辺地域はちゃんと整備されていて運河の水もとてもきれいだったのでびっくりしました。
今現在はこの水路は輸送目的では利用されていません。そのため水位も低くなっています。
同時はいろんな船が行き交っていたんでしょうね・・・。
いかがでしたでしょうか?
ミラノ周辺の地理や河川と歴史との深い関係性が少しでもお伝えできていたら嬉しいです。
ちょっとマイナーすぎたリサーチでしたが最後までお読みいただきありがとうございました!